2007/12/21

いろんなこと。


 気がつけばずいぶん前のことになってしまったが、今年の六月末、義理の叔母が亡くなった。

 叔母、といっても妻にとっては中学生の頃から一緒に同居していた人でもあり、また歩いて十分のところに住んでいる一番近しい親戚でもあった。妻とつきあい始めたとき、義父母よりも先に会った人だ。我が家の飼い犬を溺愛して一番散歩に連れて行ってくれた人でもあるし、娘のことをまるで自分の孫のように可愛がってくれた人でもある。間違いなく、双方の祖父母より一緒に遊んでいる回数は多い。
 叔母の家は娘にとって、まるでもう一軒の自分の家のようなもだった。なんせそこでおっぱいも飲んだしおむつも替えてもらったし、延長保育になる前は迎えに行ってくれた叔母がそのまま連れて帰ってもらって、面倒みてくれたりもしていた場所なのだ。大きくなってからは一緒になって何時間でも遊んでくれたり、好きなものばかりいくらでも食べさせてくれたり。娘は叔母の家にすっかり馴染んでどこに何があるのかまで覚えてしまい、まるで自分の家のようにいつもくつろいでいた。Sさんの家に行く(娘は叔母を名前で呼んでいて、叔母もそれを喜んで娘のことを友だち、といってくれていた)、というのは娘にとって休日の楽しいイベントで、休みにどこに行きたいか聞くと、公園いってからSさんち!というのは定番だった。

 叔母はもう一年以上患っていて、でも亡くなるほんの十日前くらいまでは本当に元気だったし何も普段とかわりがなかったので、まさかこんな急なことになるなんて思わなかった。
 急に息が苦しくなって、といい出した叔母は犬の散歩のために緩い坂道を上らなければならない我が家にくることができなくなり、食事も作るのが大変になった。そして、検査入院するはずだった日の朝、自宅で倒れたのだった。

 妻が駆けつけた時にはまだ意識があったのだけれど、娘をピックアップして私が病院に着いたときには、もう話せない状態だった。そしてそこで初めて、医者からよくこんな状態で頑張っていた、といわれるほどの病状だったことがわかったのだった。

 翌日、娘は叔母に見せるのだと言って買ってもらったばかりの大のお気に入りの青い甚平さんを着て病院に行き、ベッドに横たわったままの叔母に対し、週末の朝に寝坊している父親を起こすときのようにくすぐってみたり、額にチュウしてみたりしたが、父親には覿面に効くこの魔法も今度ばかりはだめだった。
 病院に着いてから意識を取り戻すことはないまま、入院二日目の午前中、叔母はとても静かに亡くなった。

 あんなにたくさんしてもらったのに、恩返ししきれないままになってしまった。いろいろなことがあったけれど、でも今は後悔ばかりが出てきてしまう。

 生涯独身だった叔母の喪主は、一番近しく、何かあったら後はあなたにお願いね、とずっと言われていた妻が務めた。喪主が大変なのは知識としては知っていたけれど、こんなにだとは思わなかった。でも妻は懸命にその役割をこなし、つきあいの多かった叔母らしく多くの友人たちが通夜や告別式には来てくれ、参加してくれた方々からとてもいい式だったと言ってもらえたのはよかったと思う。叔母も喜んでいてくれたら、と思う。

 あれから半年、葬儀から始まった色々な手続きなどもようやく目処がつき始めた。叔母が亡くなった頃と時期を前後して、妻も私も公私ともに色々なことがあって、生活サイクルは全く保てなくなるし、体調は崩すし、ストレスがコントロールできなくなって娘に当たり散らすし、本当に散々な日々が長く続いた。それもだが、年末を迎えてようやく少し、落ち着きを見せ始めてきている。
 とてもそんな余裕もなく、またそんな気になれず長く放置にしてあったフィジカルトレーニングやこのサイトの更新も、少しずつ再開していこうと思う。

 娘が生まれてから今まで、毎年様々な初体験を重ねてきたが、今年ほど色々なことがあった年はなかった。来年は、もう少し穏やかな年になってほしいと、叔母を招くことができない初めてのクリスマスを前にして、改めて願う。