2010/02/09

iPadとNewton MessagePadのその3でたぶん最終回。

 さんざん書いておいて今更いうのも何なのだが、iPadとNewton MessagePadを重ねてみるのは、敢えて言えば過去の亡霊に取り憑かれているということになると思う。そもそも、この二つを同じ文脈で比較しようとするのが間違っているのだ。出自も基本思想も全く異なる二つのデバイスを、メーカーがアップルで同じタブレット型だというだけで一括りにして違うのなんのということ自体が意味がない。

 ……もちろん意味がないことは重々わかっているのだ。わかっているし、今更そんなことをいっても仕方がないこともよくわかっているのだ。しかしそれでも、わかっていても口をついてしまうほど、Newton MessagePadというのが魅力的なデバイスだったということだけは声を大にして言っておきたいと思う。誰も聞いていないだろうが、それでもだ。

 iPadをいわゆるPDA的に見てしまうのは、日本ではiBooksが提供されない、ということが大きいように思う。もしiBooksが提供され、十分なコンテンツが供給されれば、iPadはNewtonとは全く別の意味でライフスタイルを変えるデバイスになるだろうと思う。
 別に私は電子書籍万能主義でもなんでもないが、マニュアルとか取扱説明書とかは電子の方がありがたい。紙の書籍が全て電子書籍に取って代わられることは、おそらく物理的な本を読んで育った世代がいるうちはないと思うし、私も書籍という物理形態に愛着がある人間なのでそうなっては欲しくない。しかしそんな私でも、読み終えたら捨ててしまう新聞や雑誌の類は可読性の高い電子書籍で提供されればすぐに乗り換えるだろうと思う。
 さらに仮にそれが―新聞であれば、いつも自分が読む記事だけがまとめられたページが最初に提供される、というようなインテリジェントなことができれば、もうそれは電子書籍というただ媒体が変わったというだけのことではなく、新しいエクスペリエンスだと言っていいと思う。もちろんそうなることの可否はよく考えなければならず(たとえば動的にコンテンツの構成が変わることの是非など。読む側は拾い読みでいいかもしれないが、編集する方はそうは思わないだろう)、必ずしも薔薇色の世界だとは思わない。しかし、そこに新しい可能性があるのも確かだろう。

 そういう意味では、今の日本の環境ではiPadは「でかいiPhone/iPod touch」になってしまうわけで、それは本当に惜しいことだと思う。iTunes Music Storeの時のように、少し遅れてでも、日本でも展開されることを祈らずにはいられない。
 そしてもう一つ。この(Newtonの時よりずっと洗練されたアプローチの)新しいユーザエクスペリエンスへの挑戦が、マーケットから拒絶されないことを強く強く祈りたい。Newtonの時のように自分が当事者になろうとは思わないだろうが、それでもこのチャレンジが成功することだけは期待したいと思う。

1 コメント:

匿名 さんのコメント...

Messagepad 2100 の愛用者です。
MP2100は現在でも十分に使える
というより、やっとMP2100が理解
されるようになったと考えています。